名字「楢見舘」の読み方・由来・全国人数情報など

楢見舘
全国人数
ごく少数(希少名字)
読み方
分布や由来

楢見舘氏は、日本の氏族のひとつ。

由来楢見舘氏の由来は、楢見氏の拠点とされる楢見館に由来すると考えられています。楢見館は、岩手県一関市の西部に位置する楢山の山麓にありました。楢山には楢の木が多く生えていたことから、楢見という地名がつけられたといわれています。楢見舘氏は、楢見館を居城とし、陸中で勢力を拡大したと考えられています。

歴史 楢見舘氏の歴史は、平安時代末期にさかのぼります。楢見氏の当主・楢見宗高は、源頼朝に従って奥州合戦に参加しました。その後、楢見舘氏は、陸中南部を拠点に、一関氏や大崎氏などの有力な武士団と争いました。 室町時代になると、楢見舘氏は、南北朝時代に北朝方として戦い、その後は南部氏に臣従しました。江戸時代には、楢見舘氏は、南部氏の支配下で、一関藩の藩士として仕えました。

現代 楢見舘氏は、現在、全国に約60人がいます。主な居住地は、岩手県、千葉県、北海道などです。

有名人 楢見宗高(平安時代末期) * 楢見氏秀(南北朝時代) * 楢見氏次(江戸時代)

関連氏族楢見氏秀を祖とする楢見氏秀家 * 楢見氏次を祖とする楢見氏次家

その他楢見舘氏は、楢山神社(岩手県一関市)を氏神としています。楢山神社は、楢見舘氏の祖先である楢見宗高を祀っています。

楢見舘氏の居城 楢見舘氏の拠点とされた楢見館は、岩手県一関市の西部に位置する楢山の山麓にありました。楢山は、標高約300メートルの山で、一関市街地から南西に約10キロメートルの位置にあります。楢見館は、楢山の山麓に築かれた山城で、楢山神社から東に約500メートルの位置にあります。 楢見館は、平安時代末期に楢見宗高によって築かれたとされています。楢見館は、三重の曲輪から構成されていたといわれています。最上段の曲輪は、主郭として機能していたと考えられます。中段の曲輪は、居館や倉庫などが置かれていたと考えられます。最下段の曲輪は、城下町として機能していたと考えられます。 楢見館は、室町時代初期に南部氏の支配下に入りました。南部氏は、楢見館を改修して、一関城の支城として利用しました。江戸時代には、楢見館は、一関藩の藩士の居館として利用されました。 現在、楢見館は、楢見館跡公園として整備されています。楢見館跡公園には、楢見館の石垣や曲輪の遺構が残されています。

※未掲載の読み方や由来が存在する場合があります。また、全国人数はおおよその目安です。

名字に関する情報をお寄せ下さい

当サイトでは名字に関する情報を募集しています。
情報をお持ちの方はこちらから情報提供をお願いします。

名字の情報を提供する

楢見舘という名字のローマ字表記

読み方英語式訓令式ヘボン式
ならみたてnaramitatenaramitatenaramitate
ならみだてnaramidatenaramidatenaramidate

楢を含む名字一覧

見を含む名字一覧

舘を含む名字一覧

トップへ戻る